新年明けましておめでとうございます。
2016年もよろしくお願い申し上げますm(_ _)m
大晦日の昨日は、御節の準備をしたり、年末のご挨拶メールを送ったり魔裟斗の6年ぶりの対戦をみたり紅白歌合戦をみたり、電話鑑定をしたりと慌ただしく過ごしました。
でもあらためて昨日は思いました。
「しあわせ」ってそういう「日常」なのだ。と。
家族が病気になったり、自分が調子悪かったり挫折や試練の中にあったりするときは、何気ない日常になど目が向かず、喜びなど感じられない。
人間とはそういう「繊細で感性豊かな動物」なのだ!ということでしょう。
去年は息子の突然の病にあたふたし、高額の漢方を買って試したり先進医療に臨みをかけたりしながらのお正月、当然日常を楽しめるような状況にありませんでした。
せめて命をつないでほしい。
健康を回復してほしい。
それだけが願いでした。
あれから1年が経過し、昨日の大晦日、日常的な忙しさに振り回されながらも涙が出るほど「普通の生活」のありがたさを感じた日はありませんでした。
私には16歳の頃からの親友がいます。
親友といっても1年どころか5年に1回も会えません(笑)
私は2人の子育て、彼女は5人の子育てをするシングルマザー同士です(^_^;A
お互いに弱音を吐くのが大嫌いで、絶対に己に勝つ!みたいに、昨夜の魔裟斗のように人生に挑戦するのが好きなタイプ♪
でも・・・
さすがに不慮の事故や病気には愕然とします。
彼女は自分自身が乳癌になり、妹も末期の癌と闘病中でした。
私は息子が脳出血で入院し、手術するには危険な部位であることを知りました。
電話で二人で泣き合いました。
運命は残酷だね。と・・
お互いに必死なさなか、彼女からプレゼントが届きました。
お疲れ様。
これまで人生いろいろあって大変だったよね。
「命」という字は、人は1回叩かれると書いてある。
叩かれる、というのは人生の試練のことだから、試練を乗り越えるたびに、
たましいが鍛えられる。命ってそんな字なんだね。
何年も会わなくても、連絡取り合ってなくても、いつもたましいは繋がっていて、相手に何かあったら無償で心を愛をかけあえる。
友達って大切で有り難いものですね。
彼女はマヤ暦でみると「コーン」というサイン。
「死」の私とはペアなの。私の母も「コーン」で、占いでつながっている友達も「コーン」です。
マヤの不思議なつながりというのもまた、「命」の言葉とおなじように、何度も試練を乗り越えながら「本物のコインの裏表」となっていく。
そんなことを学んだ1年でした。
今年は皆様のナーカルが、本物のパートナーとの縁を知ることができますように。