息衝く永遠の真理

古代人の思考とはいかなるものであったか。

古代世界から蘇った多くの絵文書や書物などの文化遺産は、ほとんどが古びたぼろ衣をまとっている。

そこでは、生と死の摂理や神々の御業と神秘哲学を、難解な言葉や表現とともに、散文や詩のように、あるいは奇想天外で馬鹿げたことのようにして表象されている。

時に災いや異端となり、時に叡智の光を輝かせながら、古代文明の叡智にひっそりと「永遠の真理」が息衝いている。

古代人が何を考え、どのようにしてそれらを書き残したのか、建造したのか、彼らにとって未来人への継承・伝承とはいかなる意味において思考や心の場を獲得していたのか。

古代の書物や秘教体系、永遠の真理なるものを紐解こうとしたとき、それらが現代人の思考法とはまったく異なっていることを発見する。物質主義的なものや、科学や学問という境界を超越し、難解な表象や思考法をもちいて、穢れを削ぎ落し、直感的にたどり着ける限界のところまで、人智を昇華させていく。

そうしたところに出現してくる「美」と「真」の融合や、「美」と「醜」、「光」と「闇」の合体が、調和と優雅さをまとい、崇高なるものの本性として霞とともに姿をあらわす。

言葉であって、言葉ではない。

現代人が「永遠の真理が美しい」と感じるとき、それは自然界の衣を纏うように、神の羽衣に触れた瞬間のように、それらが「思考の質」によって決定されていることを知る。

それは一であり全であり、結果であり原因であり、白であり黒である。

「人間の創造に失敗した<天の心>とグクマッツは、年老いた予言者夫婦を訪ねると、彼らは聖なる暦で日を数えながら、人間は木からつくられると予言した。・・・男は木でできていたが、女はイグサでできていた。彼らは本物の人間のように、物を見ることもできれば、話をしたり子を産んだりすることもできた。けれども感情というものをもたず、冷血で無表情な生き物であった。魂をもたず、思慮も備わっていなかったので、創造主を畏れることも、崇めることもしなかった。」


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