エゾテリスム(L’ésotérisme)

諸宗教内的次元において究極的一致する!」

こんなに短い文章のなかに真理をすっと書けちゃうのってすごいですね。
このぐっと惹き込まれる「帯」のキャッチフレーズの持ち主はこの書籍です。


「形而上学とエゾテリスム」

フリッチョフ・シュオン著

最近更新できませんが、それには理由があります。
私の人生に「良き訪れ(エゾテリスムの福音)」がやってきまして、頭のなかに散々している自分の思考や我流内的哲学を言葉にするため、デスクのまわりは下の写真状態です。

「動かさないで!わかんなくなっちゃうから!」

な状態になっています。Σ(; ̄◇ ̄)σ

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書籍の説明には「諸宗教は唯一の真理から派生した虹であり、内的次元では究極的に一致する! 膨大な知識と神秘主義者としての体験に基づく叡智。」とあります。

すごいですね!まったく同感です。

で翻訳された方が漆原健氏。

ツイッターがこちら!

 

フリッチョフ・シュオン「形而上学とエゾテリスム」翻訳の出版がようやく近づいてまいりました。本書は伝統主義学派の最重要著作の一つです。シュオンについては東京大学名誉教授中村廣治郎の次の紹介をご覧下さい。http://t.co/BGTjPGP5hR

— 漆原健@形而上学とエゾテリスム (@urushiharaken) 2015年4月11日

シュオンは「宗教」のなかに統一する究極の真理をみつけるにいたる神秘体験をしたのだと思います。

また『音楽のエゾテリスム』『交響するイコン』『古代密儀宗教』の著者ジョスリン・ゴドウィンの専攻は音楽理論。彼は音楽を通じて秘密の教えを手にし、あるいは秘教的な宇宙の摂理や真理を世界に広めています。

エゾテリスム(L’ésotérisme)

宇宙の真理や神の叡智は、世界中あらゆるところに存在していることを教えてくれます。

もちろん古代マヤ先住民の世界にも、シャーマニズムやオカルティズムの世界にも、そして「わたし・あなた」の内側にも。

 ラキュリア神父はキリスト教的ヘルメス学者の典型である。「キリスト教的」というのは、教会の教義や、聖書の無謬性や、アウグスティヌスおよびトマス・アクイナスの権威などを疑問視することなく、そのまま受け入れるという意味にいおてであり、「ヘルメス学者」というのは、宇宙をアナロジーとコレスポンダンスの連鎖として捉え、その鎖の最初の輪が神の存在のうちに埋め込まれていると考える者、という意味においてである。友人たちの証言から浮かびあがるラキュリア像は、数々の艱難辛苦にもかかわらず、真の「神智学」を有するがゆえに、すなわち神の知恵を有するがゆえに平穏を保っている聖人の姿にほかならない。・・・近代合理主義とは違い、神父自身は「もう少し神の秘密に入りこむこと、すなわち、神が事物をこれこれの仕方でつくったのは、いかなる理由、いかなる動機によるものかを、もう少し探ること」に役立つのであれば、何事をも排除しなかった。神に向かってジャンプするときにラキュリア神父が使ったもう1本の足、それがヘルメス学だ。
ラキュリア神父 音楽のエゾテリスム

さきほどのフリッチョフ・シュオンがこちらの方。おおおおー

すごい目力です!

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フリッチョフ・シュオンの生涯

若い時分から、シュオンは形而上学的真理を探求し、ウパニシャッドとバガヴァッド・ギーターを読むに至った。ムルーズに住んでいる間に、彼はフランスの哲学者にして東洋学者のルネ・ゲノンの著作と出会った。それらは、彼の知的直感を確信せしめる事に役立つとともに、彼が発見しはじめた形而上学的原理への支持を供給した。・・

第二次世界大戦が終わったあと、シュオンは、アメリカ西部への旅の招待を受ける。そこで彼は、常に深く興味を抱いていたプレーン・インディアンとともに幾月か過ごした。フランス語で教育を受けたため、シュオンの主要な著作はすべてフランス語で書かれている。1953年には英語の翻訳がはじめて出た。彼の最初の本『諸宗教の超越的一致』(ロンドン、フェイバー&フェイバー)について、「私は今までに西洋と東洋の宗教に関する比較研究においてこれほど印象深い著作に出会ったことがない」とT・S・エリオットは書いている。

著述を続ける一方、シュオンと夫人は広範囲を旅した。1959年、また1963年には、スー族クロー族のアメリカ・インディアンの友人たちの招待で、アメリカ西部に旅している。ネイティブ・アメリカンの好意で、彼らは、多数のプレーン・インディアンの部族を訪問し、彼らの神聖な伝統の諸側面を観察する機会を得た。1959年、シュオンと夫人は、ジェームズ・レッド・クラウドのスー族の一員となった。何年か後、同様にクロー族の医師でありサン・ダンスの首長であるトマス・イエローテイルに受け入れられた。
ネイティブ・アメリカンの宗教の中心的儀礼に関するシュオンの著述および、彼らの生き方についての心に残る美しい彼の絵画は、プレーン・インディアンの霊的世界へのシュオンの特別な親愛を証言している。彼らの旅としては他に、アンダルシアやモロッコ、また、1968年エフェソスの聖処女の家への訪問がある。1980年、シュオンと夫人はアメリカに移住し、1998年の彼の死まで、そこで著述を続けていた。
彼の多くの著書と論文を通して、シュオンは霊的師、そして伝統学派のリーダーとして知られるようになった。スイスにいる間は常に、東洋西洋問わず、著名な宗教学者や思想家の訪問を受けていた。

引用先リンク

やはりネイティブ・インディアンとの接触がありました。

感動。

あ、中国にもネイティブなシャーマン賢者がいますよ!ほら!

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霊的な世界や精神世界に接する人は、いちど秘教の学問に触れてみるといいと思います。

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