フリーのジャーナリスト池上正樹さんが「ドキュメント ひきこもり」でこう著している。
「人は孤立した中で、向き合う相手が自分自身しかいない状況に長時間置かれれば、まず自己否定する。なぜなら、疎外された原因がどうかは別にして、ひきこもった状況の自分自身を到底、肯定的に見られないからです」
ひきこもったことのある人や、家族や周囲にひきこもってる人がいる人ならわかると思うが、どんなに励ましても「そんなことないよ」となぐさめても、当の本人には否定的な感情のそれがOK!だとは思えない。
そして「自分はこのままでいいのか? こうなってしまったのは何故なのか?」と自問自答しながら、答えを見つけようとする。しかしその途中で必ずぶつかるのが「◯◯のせいだ!」という考え方。
「自分がこうなったのは、親のせいだ」
「会社の上司あるいは先輩のせいだ」
「いじめのせいだ」
「病気や事故のせいだ」
原因や怒りの矛先を身近な対象や事象に向けることで、消化しきれない心の傷を外側にある物事に置き換えているわけだ。
ぶつけられる矛先となった家族や親もつらい。。
しかしよく考えてみれば当然のことだが、ひきこもってる人だけが「自問自答」してるわけではない。しかし「自問自答」にフォーカスしてしまうのが「ひきこもり」の特徴なのだと思う。
「自分が生きていくために、どうしたらいいのか?」
「なぜ自分は生きているのか?」
「なぜ死んではいけないのか?」
「なぜ学校に行かなければいけないのか?」
「なぜ働かなければいけないのか?」
「なぜ親や人としゃべらないといけないのか?」
これらの根源的な問いかけを、毎日毎日自分に問いかける。
時間がある限り、1年中延々と繰り返し繰り返し「必要のない自分との対話」を続ける。
そう。「必要」がない自問自答対話を繰り返してしまうから、矛盾や正義や社会や道徳や家族や不条理なことが許せなくなるのだ。
だれだって◯◯のせいだ!って思うことなんて、世の中には腐るほどある。ていうかほとんどそう思うことだらけ。
安倍晋三のせいだ!!!
中国のせいだ!アメリカのせいだ!
給料が安いせいだ!
くそ上司のせいだ!!
と毎日1回や2回は誰だって思うよ。
ひきこもってる諸君!
ひきこもりの最中くらい、意味のない根源への自問自答スパイラルに引き回されないで、楽しもうぜ!
ゲームやったりネット検索して学んだり、ばかいってSNSで発散したり、うまいもの食べて寝る!
◯◯のせい!と思いそうになったら、「◯◯のせい!と思うけど、そう思うのを今日はやめてやろうじゃねーか!」と思い直して、テレビのスイッチ入れて、くだらなーいお笑い番組見て笑う。
いっとくけど・・・・
思考停止 させないと
ひきこもりから脱出はできないよ!
ひきこもりに意味があるとしたら、それは
「神様がくれた、自分へのご褒美時間」
なのではなかろうか!
と思った「祖先9」の日であるヾ(=^▽^=)ノ