この文章だけを読んだのでは、いったい何を言いたいのかよくわかりませんよね。
しかも何も思考せず、
【ただ】読んだだけなのですから…!
でも、これを読んだだけで、人間の無意識は本能的に理解できることがあるのです。
人は自分というものがいったい何なのだろう?とか、自分は何をしたいのだろう?
とか単純に疑問に思うことってありますよね。
それは、自然に素直に生きている限り、当たり前の疑問です。
人は自分の意識する考えが全ての生きる基準である。と疑うことなく思い込んでいるからです。
でも、それは真実ではありません。
無意識という深くて大きな根っこが無い限り、自分という人間の花は咲くことが出来ないからです。
無意識を自覚している人も自覚していない人もいるでしょう。
自覚しないで花を咲かせることのできる人は、
きっと無意識の世界のヌミノース的原像がとても強く、しっかりしているのかもしれません。
自覚している方は、きっと一生懸命に努力して自分という人間の使命を見つけるため、
また使命を果たすため、がんばっているに違いありません。
ユングが述べている無意識の心理学についての本来の認識は、
理解しようとするのではなく、感じることから始まるのだと私は信じるのです。
ですから、私がアドバイスするのは
【無意識ということばの概念を、むずかしく捉えないこと】
【意識しない自然なところで、無意識は隠れたまま意識の様子をうかがっていることを認めること】
として無意識を受け止めるという、とっても大切なことなのです。
「無意識」をむずかしい心理学的用語の中だけに閉じ込めてしまうのは、
人類にとって愚かしいことです。
だから私は『無意識の解放』を宣言します。
イエス・キリストを信じる、仏陀を信じる、釈迦を信じる、ということは、
宗教だから信じるわけでもなく、教義を信じるわけでもないのと同じです。
真実は簡単なことばでも十分に通じます。
そして「無意識」と名づけられているのことばの意味は、「意識が無い」ということではありません。
根っこは土の中に埋まっています。だから目には見えないですよね。(引っこ抜けば別ですけど…)
どちらかといったら、無意識というより、「隠れていて見えない意識」
というほうが正しい意味に近いかもしれません。
無意識はことばの中には無いのです。
どちらかといったら、絵や象徴、音楽や第六感の中に見つけやすいかもしれません。
でも、無意識が意識化されるときは、言葉も関わってくるようですけれど…!
ちなみに無意識の中に想像されたものとして私が描いた絵は
下にある「キリストの子錬金」という題のものです。
つぼの中から花が咲いていて、
茎の途中には小さなキリストが串刺しになって横たわっているものです。
それが子錬金だというのです♪?!
無意識は怖がらずにそっと向き合ってみると結構優しく教えてくれると思いますよ。