人は年を重ねるごとに、肉体はその力を充満させることを怠り、精神はその肉体の疲れに妥協をするようになります。青春を生きた時代には、疲れを知らずに遊びや仕事に夢中になれていました。老いを感じる年になると、疲れは肉体の主張となり、精神が弱ってしまうことを今か今かと待っていたかのように、襲いかかってくるのです。しかし、年を重ねるということは、それだけでしょうか?! それでは、いったい何の為に苦労を重ね、経験を積んできたのでしょうか?
そこには偉大な秘密が隠されているのです。
人の齢を100歳としましょう。人の一生を山登りに例えれば50歳は頂上ですよね。
でもそれは間違いです。 生まれてから12年間はまだ山登りをしていません。 地上で、山に登るための勉強や訓練をしているのですから。
13歳…中学生になって、やっと山に登るための土台を築き始めるのです。
そして、80歳を過ぎてからの20年は、はやり山登りはしていません。自分の人生という山登りを終えて、様々な体験と経験と感動と意見を持って、山登りを静かに瞑想する時期なのです。そのとき人は、山登りの体験を人々に語ったり、伝えたりして歴史を受け継ぐのです。
ということは、本当の山を登って降りる時期は、100年のうち、68年間です。
人が自分の頂上に立つのは、だいたい100−12−20=68 68÷2=34
34+12=46 ということで、46歳。
人生を100歳として、頂上付近に立つのは、46歳ですよね。
もちろん、山の形にもよります。急な坂を昇るのに、下りがなだらかな斜面の山とか、だらだらと平坦な道の山が急激な斜面になる山とか・・・
しかし、人生を山登りに例えたとき、とても参考になるのが、男意識と女意識なのです。
生まれて12年、そして100歳前の20年間は、男も女も、共通点がありますね。
それは肉体として見た場合の男女の違いは無い次期ですよね。
12歳までは、女の子もまだ妊娠はしない時期がほとんどですし、男の子も同じでしょう。
そして80歳を過ぎた婦人も紳士も、ほとんどの場合は12歳前と同じ状態に戻っているでしょう。
男が男でなくなる時、女が女でなくなるときこそが、もうすぐ頂上だよ!という知らせなのではないでしょうか?
かつての日本にまだ神話が生きていて、
神の霊感を受けたという巫女が霊媒師として活躍していた頃、人々はこう言い伝えていたそうです。 女性がその役目を閉じる頃になると、霊感が非常に強まり、神との交信が出来るようになることが多いと。祈祷師や霊媒師、占い師など、交霊術を行う人にはそのような言い伝えがあったそうです。
男性も女性も、人生の頂上が近くなるにつれて、天に近づいているのです。
天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず。とは、福沢諭吉の名言ですが、そのように、天に近づくということは、男女であることに関係なく、本来の人間としての自分に気づき、頂上で天を仰ぐような素晴らしい景色を見ることに近づいているということなのですから。
偉大な秘密… それは男女という意識を超えたところに隠されている宝なのです。
そこにある視点を得られるということこそが、頂上に登るという意義なのです。
天にも昇る思い…と人はよく口にしますが、天にはキリストのように昇天するのではなく、自分の人生の頂上である天に自分で登っていくことを意味しているのではないでしょうか?
だからこそ、愚かで欲深い人間が、頂上から見る天の景色の素晴らしさに心洗われて、その後の人生に実りを得られるのではないかと思うのです。
人は、自分の肉の習性を自分の力では消し去れないものなのです。だからこそ、天の力が必要なのでしょう。
頂上に向かっている人よ、
頂上に立とうとしている人よ、
頂上を体験して下ろうとしている人よ、
頂上がまだ見えなくて、苦しんでいる人よ、
天の力を求めてみましょう。
自分の人生を信じてみましょう。
男も女も必ず自分の頂上があるのですから。
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