錬金術の福音

錬金術は、啓示と同一ではないけれど、
啓示に対比するような「認識の源泉」
を示すものだといわれます。

錬金術の福音が告げるのは、


「かつてユダヤの地に『ひとつの泉が湧き出た』ように、
今またそこに至る道を容易に発見することができない
『秘密のユダヤの地』と、
その水が何からの役に立つとは到底考えられないほどに、
無価値に見える『秘密の泉』とが存在している。」



これは、錬金術テクストの「宇宙の栄光」の文言ですが、
このことからわかるのは、術師たちがどれほどに自分たちの術を
神の啓示に対比させて考えていたか、
また神の啓示を補完するものと見ていたかということです。

錬金術作業の「統合に至らせる神秘」も「精神的統一」も、
錬金術の全般にとって重要な示唆を含んでいますが、
中でもキリスト教的な象徴表現である「聖婚」と「聖母マリアの被昇天」に関する教義は、象徴表現の仕方は異なってはいるものの、
ともに同一から出た根本思想を持っています。


錬金術の
「大いなる作業」における「結合」についての観念も、
実はこのキリスト教以前の伝統に根ざしている元型的な聖婚の一つであって
「聖なる婚姻」に端を発しているものだと言われています。