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占いの起源と歴史


 ◎ 占いの起源



易占いや占星術は古の昔から世界中で人々に愛されてきた占術です。
日本でも、昔から自然を愛し、木々や石、大地などを信仰する慣わしは多くありました。

山の神、森の神など八百万の神々は、日本人の願いを捧げる対象として存在していました。
また石信仰という風習もありました。

古来「石」は「神や霊のいれもの」と考えられていて「たまごもる石」として今でも神社では祀られているようです。

そのような信心深い民族の住む日本でも、天武天皇の時代になると、
中国から飛来した五経(易経、医、歴など)をもとにして、五行易による占いを取り入れるようになったそうです。
天皇を初め、国を治めようとする役人たちは、神々たちをも味方にして
国を築こうと占いをテクニックとして利用したようです。

易占いとして天武天皇は「式盤」と呼ばれるものを使いました。

これは天界を表す円盤と、地上を表す方盤を重ね合わせ、回転させ、盤上に刻まれている神名、星、
干支などの目盛りを照らし合わせ、それに現れた「象」を霊感によって解析したそうです。

又その頃には、陰陽道思想が日本の国家責任者らに大きな影響を与えるようになりました。

陰陽師や呪術師と呼ばれる人は、病気を治癒する専門職として登場し、
都を邪気から守るため、また人々を物の怪から救うために活躍したと歴史にも記されているのです。

天空の星を見ることで、小宇宙と呼ばれる人の内なるエネルギーの位置と照らし合わせ、
そこに何らかの因果関係とイメージを捉えて占うことは、古代から行われていました。

一説によると、占星術はバビロニア時代には発祥し、ギリシャ・ローマ時代になって
基本的な体系が整ったのだとも言われています。

また、エジプトは天の似姿であると信じていた古代エジプト人は、紀元前2700年の頃、
クフ王のピラミッドにおいてすでに星と天との位置を重視し、魂の導く道の灯明として星を反映させていました。

エジプトでは夜の12時間の領域を冥界(ドゥワト)と呼び、死後の世界から再び蘇るための書が
「永遠の生命」として語られ、信仰されていたのです。

古代エジプトの民は、天地の諸現象に星が関係しているという秘儀の世界にも通じていたのかもしれません。


  人にとって占いとは…?


人間は、神々と自然と宇宙という限りなく不思議で神秘な世界に少しでも近づいてみたい、
学びたい、共鳴したいと切望する道を、
何千年もの時をかけて旅をし続けてきたと言えるのです。

天の力を信じて、運命を読み解きたい! 自然の力を予測したい!
古代から続く人類の切望する願いだったのですね。

占いは、決してまやかしや嘘や怪しげなものではなかったというのが真実です。
そして現代、占いの種類も方法も多種多様化しました。

タロットカード、トランプ、手相・人相占い、血液型占いなど多くの占いが
現代の心の闇を支え、はげまし、読み解いているのは真実なのです。

科学が高度に発達した現代において、人間社会から悩みやストレス、不安や迷いが無くならない限り、
占いはなくなることはありません。

占いの役割と使命は、神の言葉の伝達という神秘の世界との仲介だけでなく、
人の悩みや心の内を相談できるカウンセラーとしての性質を十分に兼ね備えていることも
真実だということを疑う人はいないことでしょう。