第三の門(水星)
『水星を通って太陽に至る』前編

人類の歴史を振り返ってみると、
人間が如何に愚かな知恵と目先の欲に翻弄されてきたかを、
はっきりと知ることができます。

戦争をはじめとして、権力や地位の獲得争い、
殺し合いに奪い合い、勝利者が手にすることのできると
信じてやまない英雄の座と権利、
それを支える社会構造、お決まりの英雄伝説…etc


神はそんなことを望まれていないと、
知っているはずの神を信じる人間が戦い殺しあう。

純粋に信仰と愛に奉仕を捧げる貧しい人間には、
この世の栄冠と財宝の女神は決して微笑んではくれない。
何という不条理な世の中なのか…



かつての種一弓は、どんなに頑張ってみても
「成功」という門に入ることが出来ず、
あと一歩というところで、手が届かないまま
挫折することが多かったのです。


「愛されたい」と願っても、願えば願うほどに「愛」は遠ざかっていく。


本物の愛もわからず、愛を求めて暗中模索している間には、
愛以上に苦しみと悲しみの経験ばかりが増えていく。

それはまるで傷がひとつ増えるごとに、愛からは遠ざかる運命のように…!





親に、人に、先生に、社会に認めてもらいたい!褒めてもらいたい!
わたしのほうを向いてもらいたい!!
とばかりに、一生懸命に頑張ってしまう。

もがけばもがくほど穴を掘り進めてしまって、
いつの間にか穴から出られなくなってしまう。


「私なんか絶対に幸せにはなれない」

と自己評価は低く、それなのに驚くほど自我が強い自分。
そんな私の性格を、誰よりも自分が一番「大嫌い」でした。

煉獄という運命に翻弄されながら、
次第に私は自我の剥ぎ取りを経験していきました。

どんなふうに…?

これもダメ…あれもダメ。
こっちもダメ…あっちもダメ。
上は?…ダメ。
下なら…ダメ。
こんなふうに…!


そうすると、人間どうなると思います?

八方ふさがり状態になると人間て、
意識がとんでもないことを考えるものです。
いえ、人間が考えるのではなく、
自分の無意識が発動するというか、
自我の脱皮をしようとするというか、
まったく普通の意識の次元では考えられないような思考が
駆動しはじめるのです!!

それもほとんど自分の意思に関係なく、勝ってに!です。

さあ、種一弓の自己の脱皮の話しはこれくらいにして、先へ進みましょう。

今現在の種一弓の意識は、からから★なる44332によって、すべての世界はコインの表と裏のように二つの異なる面を持って保っている、という秘儀の世界に生きることを良しとされています。

なぜそうなのかという起源への疑問を辿っていくと、
そこには「4」という数字の力が影響し、司っていることを発見したのです。

4に隠された真実が、どんなに不思議で神秘的かを
私は知ることとなったのです。




第四の門へと進むためには、第三の目が必要であり、
第三の門を進むためには、「4」の秘儀を知らなければならない
という課題が、44332によって提案されたからです。



「ねえ、から爺、マーリンは何故自分の存在をもっと受け止めて、
裏側の世界で正々堂々と生きようとはしなかったのかしらね?」
「おやおや、弓どの、ずいぶんとマーリンを過大評価しておるのじゃのう。」
「過大評価?!」
「さよう。」
「そんなことないわ。だって、全ての被造物である人間、
天使や神霊も、悪霊や獣らも、始めは
一つの神のもとで創造された仲間でしょ? 
だったら、不要な存在なんてあるわけないわ。
それがたとえ悪であっても、毒であっても、ミミズであっても!!」

「ずいぶんと剣の効果が出てきたようじゃのう。賢い認識じゃ。」
「質問の答えになってないわ!」
「マーリンの側面のほんの一部しか見ておらん弓殿には、まだマーリンの本当の恐ろしさが解ってはおらんのじゃ。
勝手な判断もいい加減にしなければならん!」
「マーリンの側面って! 
もうマーリンは救済が完了して、上昇したんじゃないの?!」

「一部はそうじゃ。」
「一部?!って、まだマーリンは洞窟の中にいるってこと?」
「愚か者!」
「から爺…」
「さあ、出発じゃ。この門を通ることが、
今ではとても重要なのじゃ。
この話しはそれからでも遅くない。」






ここで「二つの異なる面」について少し紹介しておきましょう。

わたしの意識は、イエス・キリストという霊的な導師を愛しています。
キリストの愛と聖がなければ、人間の意識は神に喜ばれるような
存在にはなれないからです。
それと同時に、わたしの無意識は、マーリンを愛しています。
マーリンがキリストの影の存在となっているからです。
マーリンが影となって自らの存在を洞窟の中に追いやり、
封印をしてくれたことが偉大な行為であると私は認識したからです。
もしもマーリンが自らを洞窟に閉じ込めなければ、人間は悪を選んで生きるという自由を得ることが出来てしまっていたからです。
そのときこの世界は悪が支配し、善なる神は
神話となってしまったことでしょう。



悪魔を父とするマーリンは、パーシファルに正しい道を譲りました。
自らを隠者として、存在なきものとして、
生き残るという道を選んだのでした。
すべての時代を超越し、孤独な沈黙の世界の中で生き続ける道です。
その沈黙は、世界が創造される以前からあった暗黒の沈黙です。
マーリンは、キリストやパーシファルのように英雄ではありません。
ただの年老いた魔術師であり、悪魔を父とした嫌われもののようです。
暗い洞窟の中で自らの存在に封印し、自分が説教を垂れるためや、
悪しき行いを責めたりするために何世紀ものあいだ
暗闇にたたずんでいるわけでもありません。



マーリンの姿と瞳を見たら、人はこう言うでしょう。




「ごめんなさい。あなたを追いやっていたのはこのわたしでした。
この年老いた姿、真っ黒いマントに身を包み、
仮面の下にあるあなたの顔には、優しくて不思議な思いに満ちた瞳、
少年のように孤独を楽しんでいる瞳、あごひげの中に鳥を宿してあげる
優しそうな心を映し出す瞳が、大きく見開かれているのを発見します。
どうか、あなたの存在に対するわたしの傲慢さをお許しください。
あなたの存在を私は認めます」と。

イエスキリストを愛する私は、世界中の教会へ足を運べば、その存在の大きさや教えを知ることも見ることもできます。
でもマーリンにはそんな場所はどこにもありません。
でも、私はマーリンに会うため、ある場所へと出かけることができます。
その場所は…

「孤独」です。


誰でもマーリンに会いたいと思うならば、
それぞれのやり方で孤独であり続けることを
運命として受け容れなければならないのです。



ユングの教えでは、自分が何者であるかを発見するためには、
知らず知らずのうちに他者の上に投影している自分自身の部分を引き上げなければならないのであり、それは以前には他人の中だけに見ていた可能性や欠点を、自分自身の心の奥深くに見ることであり、孤独を歓迎することができるようになることであるといっています。

今の私は人にどう見られるか、どう思われるかを基準とはしません。
自らのイエス・キリストとどう歩んでいるか、マーリンとどう歩んでいるかを探ろうとするほうが大切なことなのですから。




さて、「四」についての秘儀ですが、
残念ながら、それをここで述べるわけにはいきません。
なぜなら、それはから爺がわたしに授けてくれた
ヒントのカギだったからです。



ピタゴラスは「4」という数を「自然の永遠の泉」と呼びました。
そして自然自身も神の頭脳に起源を持つといい、詩文を詠いました。
「我が心の奥底より、神聖なる4にかけて、我は汝に誓う。
4、そは、永遠なる自然の泉にして、魂の生産者なり。」
と。

「ねえ、から爺、第三の門はなぜ水星の導きなのかしらね?」
「4という数の影響を持つ太陽の偉大なる門に進むためには、
水星の力が必要だということじゃろう。
4は情熱が内宇宙へと向かい、精神的な悩みが深くなる時期じゃ。
物事を分析して、こうだ、ああだと多角的な視野から考え込み、ますます内部のマグマはかき混ぜられて葛藤が大きくなるんじゃよ。
マーリンさまのいる場所へいくためには、偏りがあっては到達できない。
右脳的直観力と左脳的理論思考の両方があって真実が明らかになるのと同じように、善と悪を対決させている間は、
太陽に至る門を見ることさえ出来ないのじゃからのう。」

「そうなのね…」
「弓どの、人間が少し頭を柔らかくするよう、呼びかけてはどうかのう? 水星と聞くと、人間はどうしても星のことを想像してしまうだろう。星以外にも水星の概念は多く存在しておることを知らせてはと思うのじゃが…!」
「なるほど…! それはいい考えね!」

水星秘話

自転周期は58.65日、公転周期は87.97日。水星の一昼夜は、
なんと約176日!
昼間は太陽が当たるため、430度Cになり、夜はマイナス170度Cにも達する。
水星の内部には、直径の3分の2から4分の3にも及ぶ金属のコア(核)が存在すると考えられている。ウヮォ!


水星の夜が舞台になった短編小説があります。
不運にも宇宙船の故障で帰れなくなってしまった主人公が、ついには宇宙服を脱いで自殺を図ります。ところが、驚いたことに主人公は死にきれないのです。あまりの低温化で、脳細胞が超伝導状態になり、死体になっても意識が残っているというのです!そんな馬鹿な!!


水星には、月のように古いクレーターが残っています。また、水星が形成された後、冷えていって全体が収縮したときに生じたと思われる、無数のしわのような地形もあります。
それら水星の地形には、偉大な音楽家や画家、小説家や芸術家の名前がつけられています!!
水星の住民…マーラー、ホメロス、夏目漱石、チャイコフスキー、ノイマン、紫式部、シューベルト、チェーホフ、オウィディウス、シュピッテラー、運慶、リルケ・・・


水星人は、生まれた日の干支が、甲寅・乙卯・丙辰・丁巳・戊午・己未・庚申・辛酉・壬戌・癸亥の人だそうです。
ちなみに、かの有名な細木数子の占いによれば、水星人に与えられているのは、「孤独な世界」なのだそうです。これは、幸不幸という次元の問題ではなくて、そういう運気のもとにうまれたのだ、ということなのだそうです。
孤独とは反対にある「安息の世界」である家庭に安らぎを求めようとしても、本質的には水星人にはかなわぬ望みなのです。また、孤独な世界に生きてこそ、成功する可能性も非常に高いということです。と語られています。
どうですか!マーリンに出会うには相応しい星ですねえ〜!


水星は、メルクリウス (Mercurius)とも呼ばれています。ウィキペディアによれば、メルクリウスは、ローマの神話に登場する商業の神様です。 英語読みマーキュリー (Mercury)。
メルクリウスの神殿は、紀元前496年、アウェンティヌス丘の上に建てられたとされていますが、はじめからローマにいた神ではなくて、外部から来た神だと考えられているようです。
のちにギリシャ神話のヘルメス(!!)と同一視されるようになります。


ギリシャ神話からヘルメスについて少し抜粋します。
アルカディア地方にあるキュレネ山の奥深くにある洞窟に、マイアという見た目にも麗しい美女の女神が住んでいました。
他の神々から離れて、ひっそりと一人暮らしていました。神々の王で、この世界で一番偉いといわれるゼウスは、妻(ヘラ)が眠っている夜更けにそっと部屋を抜け出して、マイアのもとへと出かけていきます。それは、自らの子を妊娠させるためでした。
自らの息子…「泥棒」「嘘つき」の才能を持ち、神々の伝令の役を務めさせるための子
それが「ヘルメス」です。
何ということでしょうか!ヘルメスは洞窟の中で神の子として誕生したのです。
そして、ヘルメスは生まれたその日にゆりかごから抜け出して、マイアの住まいである洞窟をこっそりと忍び出したと言われています。

他にも参考になりそうなものがあったら、ご自分の第六感を信じて水星資料として書き留めておくといいでしょう。


「ねえから爺、水星では暑いか寒いかですってよ。
それに、肉体が死んでも意識が残っているなんていうお話が生まれたそうよ!」
「ふむ。神話やファンタジーの世界での話のなかには、多くの真実の基となる要素が隠れているからのう。
肉体が死んでも意識が生きるという話は、まんざら嘘でもないからのう。」

「やっぱり!」
「??!」
「あのね、わたしこの間死人を見たわよ。
死人っていっても、死んだ人の魂みたいなものではないんだけど…
なんていうか、壊れちゃった人っていうか、崩れている人っていうか…!」

「そうじゃったか。やはりはじまったのじゃのう…。
水星の力が伝導されているのじゃよ。」
「ええええっ!もしかして、悪霊を見たり、死者の霊を見たりするのかしら!
やだなあ〜」


「たわけ!!」
「??!」
「おまえは短絡的すぎる! 
このままでは、お前の脊髄に突き刺さった剣は
次第に劣化して錆びついていくに違いあるまい!」

「…ごめん…なさ…い。」

「おまえの第三の目に映る人間の姿は、肉体として映っているのではないのじゃ。至高の精神がその像を象っているのじゃよ。つまり、肉体や霊を見ているのではなく、霊的な精神の状態を見ているというわけなのじゃよ。
お前が見たという、壊れている人や崩れ落ちている人の像は、
その人の精神をあらわしておるのじゃ。精神が壊れているというのは、精神的に病を担っている状態に違いなかろう。
また精神が崩れるようにして自己認識への道を歩み始めている
ともいえるであろうぞ!」

「そうなのね。わたしには不思議なものが見えているんだわ! ほんと」
「さようじゃ。その力をどのようにしてマーリンに会うために使われるのかは、わしは伝えられん。そしてどのように使うのかを選択するのもまた、
お前に与えられた自由思考に委ねられているのじゃからのう。」


「むずかしいのね。マーリンに出会うってことは・・」



「第三の門を通過する要素は
すべて伝わったはずじゃ」

「?そうなの?」

「ここまで読んできた者の無意識にとっては、
水星の奥義は十分に伝わっておる。
考えるのではなく、感じるのじゃよ。
そしてその中から、秩序や法則を発見し、それを明瞭な形で具現化させるのじゃ。 謎や不思議とされた事物の本質をつかむためには、
そのような訓練が必要じゃからのう」



「ねえね! ほら、あれ!!何かしら!?」
「ん? 何じゃ?」
「アレよアレ!! ほら、空の向こうに見えるアレ!」
「おお、アレは超惑星から来た異星人がのっているUFOじゃないかのう?」
「宇宙人?!」
「まあ、そうとも言えよう」
「ワォ!」



『空飛ぶ円盤―現代の神話―』というエッセイの中で、
ユングは私たちのUFOに対する関心の心理学的な意義について、
述べています。
ユングの考えでは、世界中の人間が空中に
そのような物体を見たと報告したり、
夢やビジョンの中でUFOの存在を体験しているということは、
それ自体で相当な重要性をもつ事実だといいます。


そのようなUFO現象を、私たち人間の集団志向的な文化に対する
ひとつの補償作用とみなしながら、
元型としては重要な役割を担っているとして述べています。


「そのサインが空にあらわれるのは、誰も人がそれを見ることができるからである。それは、私たち一人一人に自分自身の魂と全体性を思い出すように命じるのだ。」

「構造は同じでありながら、起源が異なるという類似した生物に遭遇する機会が、突然訪れる可能性があるとしよう。それと比較すれば、同じ種の間で自己についての知識をどれほどもっているか、ということはほとんど重要なことではない。…しかし、そういう時が訪れるまでは、人間は隠者に似た状態であり続けなければならない。」

「流れ星の波動にでも乗ってやって来たのじゃろう」

突然目の前に第三の門が現われました。
それはまるで巨大な蛇のようでした。

つづく。



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