ペルセウス座流星群の活動がピークになっているらしい。
東京でも今夜は、雲の隙間から流星が観れるかもしれない☆
このところの私は、人生後半期にやってくる「熟年反抗期」なんだか「スランプ」だか「更年期障害」なのだかは知らないが、とにかく学校に行きたくない学生のように「占い」の仕事がしたくなくて仕方がなかった。
「かった」というからには「既にもう過去」と言いたいところだが、まだ実際は「解読現在進行形」「on the way」である。
anyway、こういう時にこそ「己の存在の真価」が問われるはずである、ということだけはわかっていたのだが、マヤでいう52歳「新しい年の束・再生、生まれ変わり」を過ぎてからの「己」なるものは、子供の反抗期や挫折とかいうものとは問い方がまったく異なることが判明した。
何しろ「固定概念」というやっかいな怪物を、まずはぶっ壊しに行かないと前に進めないわけだが。。
カルマ的日本人的癒着的思考形態がハンパない!!(ー_ー;)
ガッチガチやねん!
もしも私が私自身を鑑定したとすると、めちゃくちゃ頑固で心配性で面倒くさいやつ!だ。
自分のことを言うのもなんだけど「嫌いなタイプ」なのだ。
私は自分が嫌いなんじゃない。
「自分は間違ってない」
と思っている「自分」が面倒くさいヤツなわけだが。。。
そこで、8月に入ってからはほとんど「占い」「鑑定」をお休みしている。
こんな面倒くさいヤツが鑑定したって、いい鑑定なんて出来るはずがないしw
で・・・ここから「人生後半よたよた人生」になろうがなるまいが、まずは前に進むために、自分のガッチガチな頭がなんでここまで自分を追いやってしまったのかを分析検証しなくてはならない。
と気がつくまで、まずは時間がかかる!(苦笑)
でもいろいろと気がつき始めると、天は次のヒントを与えてくれる。
ここ大事。
自分で気づく。んじゃない「天がヒントを与える」というところね。
検証すべき自分の原点を書き出したり、不安・心配要素を並べあげたり、こんがらかってる思考回路を色鉛筆でなぞったり、十分睡眠をとって夢と遊んだりしながら。。。
時の波にボートを浮かべてそこに乗ってみることが大事なんだね。
無理に進めようとボートを漕いだり、ボートじゃ遅いと海に飛び込んだり、ボートの空気が抜けるのを心配し続けて精神が錯乱したりするのは愚かしいことである!と自分が気づかなくてはならないわけだ。
さて・・
私の場合まずは大事な「占い」について、ガッチガチになってしまった理由を検証しなくちゃいけない。
死活問題だからね(#-_-)
ところがむずかしいでしょう。
10年もやってきた自分の占いスタイルや占術とかを、改めて検証するっていってもねぇ。考えてできれば苦労しないわけで。
ところが、ヒントは海のまにまにキラリと光ってやってくる!わけね♡
この写真! すごいでしょ!見て!
大事な発見なので引用する。
虹は珍しく、稲光は速い。だからこの2つを同時に撮影するには技術と――幸運が必要だ。
アメリカ・アリゾナ州のツーソンにある、不動産エージェントのグレック・マクウンさんは、2004年の夏の休暇で、趣味のカメラをはじめて以来、嵐を追いかけている。
8月8日(2015年)、彼はアリゾナ州マラナで、約2時間ほど嵐を見つめていて、ついに完璧な一枚を撮った。空に虹と稲妻が並ぶ瞬間を捉えたのだ。
すごく衝撃的な写真だ!
これほどタイムリーなシャッターチャンスは「運」の女神が微笑まなきゃ絶対無理でしょ!?
虹と稲妻には象徴的メッセージが多く含まれている。
マヤ暦では「虹」をマヤウェルの女神が「道」のサインとともに象徴し、「稲妻」は雨と雷と光の守護神「トラロク」が「嵐のトレセーナ周期」と「シカ」のサインとともに象徴している。
「はっ!」
8月8日の立秋の日、マヤ暦では「嵐のトレセーナ周期」であり「祖先2」というサインはマヤウェル「道」を未来の希望につなぐ日でもある!
偶然はない。
つまり天は8月8日、虹と稲妻を通して象意を具現化して見せてくれた!のだ。
閃きはこの写真を通して、キーワードとともに私の中におりてきた。
Thank GOD!!!
そもそも私にとって「占い」は、解き明かしのツールである。
誰かの運命を当てるとか、未来を予測するとか、カードにお願いして行動をとるとか・・ない。
私には無理。
未来は現在の一瞬の選択によって変わるものだから。
そして変わるものと変わらないものが分離され、変わるものは変容し、変わらないものは普遍となる。それだけ。
では私は10年も占いで何をしてきたか?
天はこう与えた。
「数式と同じ」
数式?!
そうか!数式はそれだけでは何の役にもたちはしない。
数式を使ってこの世の科と理を解き明かし、答えを導き出さねば数式などゴミと同じである。
「科学」の「科」の字には「選択、分類、罪、あな、凹んだところ、学門の分野」などと意義がある。
「理科」の「理(ことわり)」の字には「筋道、道理、理由、宇宙の本体」などの意義がある。
それらを数式によって整えていくのが「数理科学」であり、私にとって「占い」は「数理科学」なのである!
(検証できつつある?(;  ̄ェ ̄)0)
先ほどの意義をみれば、罪とか凹んだところみたいな人間の歪みや曲がりを、マヤ暦という宇宙本体の叡智を使いながら、あるいは積み上げてきた学びと知恵と経験から、象徴や統計をはじき出して暦の数式から紐解き、隠されている生まれの神話素を読み解く。
それが私にとって「占い」の定義であり、「占う」という行為であり、「占い数理科学」「暗号理論」の分析・検証家としての「占い師」なのであった。
(σ`・ω・)σオウイエー♪.:゚+
そう思ったら、ガッチガチの頭から少しずつ何かが剥がれ落ちていく感じ!!
ではなぜ「占い」をしたくないのか?
それは
「彼の気持ちをみてほしいです」
とか
「これからどうなっていきますか?」
とか
「霊感でみてくれますか?」
というくだらなーーーーーーーい占いをしたくないという、私の心と魂の叫びだったわけね。
私てきな定義による占いが何なのかを知らない人を、私は占いたくありません!と。
自分の人生を自分らしく生きよう!とか、自分を知りたいとか、凹みの原因を解き明かしたい、とか数式を使って自分を解き明かそうとする人のためなら、喜んで鑑定するし占うぞ!と。
と私の心はそう叫んでいる。
ということがわかった(*’ヮ’*)
今日はそこまでで良しとする。(笑)
今日は私のデイサインのマヤ暦の日。
夕方から素敵なご縁をくださった方と一緒に食事に行ってきます♡
占い師に戻れるかどうかはまだわからない!(ー_ー;)