天体の音楽〜エゾテリスム〜について

天体の音楽??

エゾテリストとはいったいどのような人のことを言うのでしょうか? 
「音楽のエゾテリスム」―秘教的音楽の系譜―
という著書の中で、ジョスリン・ゴドウィンという作者はこう書いてます。
 
『真のエゾテリストというのは、単なる哲学者でも神秘主義者でもなくて、神智学者である。
エゾテリストの精神が向かう対象は、存在と事物の階梯の最高位から最低位にまでわたり、
認識すなわちグノーシスの目的を達成しようとする。
より地上的な方法を軽蔑することもなく、人間の霊的発達を助けるために、
化学、芸術、心理学、
あらゆるものの秘密を接し、世界を認識すること、自分自身を認識すること、
そして神を認識することを願望とする。』

モーツァルトは 「誇り高きアダム(ベートーベン)に対応する音楽のイブ」 と呼びます。

ベートーベンは、変ロ長調弦楽四重奏曲第5楽章 カヴァティーナを
「これは、苦悩というものを知らない魂、そして無限の欠如にしか苦しむことのない魂、
 そのような魂の声である」
と表現します。
 


音楽はかつて知恵の同義語であったといいます。
偉大な芸術の源泉は超個人的な世界のうちにある。
それは小さな自我から生み出されるのでもなければ、
潜在意識から生み出されるのでもなく、
神的な源泉と繋がった、至高の我によって生み出されるのである

と言われているのです。
 
存在の調和
 
1・ド・生命・赤
2・レ・自由・橙
3・ミ・調和・黄
4・ファ・聖性・緑
5・ソ・知恵・青
6・ラ・正義・藍
7・シ・永遠・紫
 
これらは、ラキュリア神父(1806〜1890)の神学的考察により、神の7つの属性として対応づけられたものなのです。


彼はこう表現します。
「音楽は世界の本質を直接啓示するものだ」と…
音楽の天才と呼ばれる人々は、きっとジョスリン氏の言われるように、神的な源泉と繋がって、その至高の状態を認識し、表現できないものを表現せざるを得ないという葛藤を繰り返しながら、自らの存在に結合して、類似する音階に近づけるよう、創造し、表現してきたのではないでしょうか。 

それこそが、無意識の心理学の象徴する意図と同じものであるのではないかと思うのです。
 
私たちの脳が習って知っているものは、音や色についてもほんの一部に過ぎないのです。
それは才能があるとかないとかの次元の問題とは少し違って、どれだけ至高の我である無意識の源泉を意識し、それに信頼し、自然に湧き上がる泉を厳粛に受け止めるかによって認識できるかどうかによるものなのです。
だからこそ、私は思うのです。

人間は才能のある無しで人生を判断してはならないと…。

私たちの心の根っこに隠されている、天の王国をどれだけ知ることが出来るのか、どれだけ可能性が開かれているのかを知ることが出来るのかだということが大事なのではないでしょうか。