私たちは日常の生活を送っているとき、
物事の本質を意識しながら話したり、
仕組みや構造を考えながら日常を分析して生きてはいません。

当たり前に知っていることを、人は意識しないものだからです。 
呼吸をするとき、息をどのように吸うかに悩む人はあまりいません。
たとえば、どうして口から食事をするのかとか、
目がどうして色を認識するのか、
また、どうして手が足として認識されることは無いのか、
言葉はいったいどこから来たのか―などのようにです。
意識するのは人間側の仕事。
精神とこころを助けるのは無意識の仕事。
と考えるとわかりやすいかもしれません。
何も考えずに受け入れるのがあるがままなのです。

私たちの無意識とはまさにそういうものなのです。

普段日常では意識されることはありませんが、私達が当たり前の生活をするように、
無意識は当たり前のようにして、その人の「人生」も「運命」も司っています。
それは、その人の望むようにではなく、その人の運命にとって必要な事を知るために、
また人生が素晴らしいものである事を本来の意味で知ることが出来るようにと、
神と意識がつながっていた時に、神が人間に与えて下さった神秘の力なのです。
 

無意識は神からの聖なる贈り物なのです。

私たち人間はその神秘の力を、あるがままの無意識の力を、純粋な心の眼を通して
見ることも知ることも出来るのです。
無意識に備わった力や神秘の世界は、私たち人間の意識を遥かに超えています。
決して人間の意識では知りえることの出来ない世界なのです。
それは、神に知ることを許されたものや神に選ばれた者、そして神と意識が
つながっていることを信じる者に認識出来る唯一の真実の世界なのです。
あなたも私も、深層の根源的な深いところ(集合的無意識)では、
同じ無意識を共有しているからなのです。


あるがままの無意識って?